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2015/7/28 (火)
シルクロード
その道のりは遠くとも…
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2015/7/24 (金)
マスキ嵐沢
白山美濃禅定道は豪雨にして敗退することとなった。
高気圧圏内の関東ならば、ということで西丹沢のマスキ嵐沢へ。
蒸し暑い日であったが、沢に入ってしまえば涼やかな風が流れていた。
易しい滝をいくつも越えて進む。
沢登り初めての二人はその魅力に取りつかれたようだ。
「やっぱ夏は大山じゃなくて沢だよね!」
降りかかる滝の飛沫が夏の暑さを忘れさせてくれる。
遡行終了のほっとした一時も束の間。
その後のゲリラ豪雨は私たちを激しく叩き、沢という沢を濁流に変えてしまった。
逃げるように足早に山道を下った。
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2015/7/12 (日)
茂倉岳~万太郎山
降り続いていた雨は止んで、我々の体の準備も整わぬまま灼熱の太陽は降り注いだ。
ブナの木陰に守られていたトレールも矢場の頭を過ぎると日差しを遮るものが全くない尾根道となる。
時折、吹き抜ける風だけが私たちを慰めてくれた。
快適な茂倉岳の避難小屋は山を愛する男たちが集っていた。
唯一、酒を愛する者たちが片すみにいた。
日本海へと沈む夕日が明日の好天を期待させる。
満ちたりた食事と酒。
山の愉しみは歩くことだけではない。
景鶴山の脇から昇った太陽が周囲の山々を余すところなく照らし出した。
越後や南会津の知られざる山々が私たちの訪れをひっそりと待ち続けているようだ。
どこから生まれたのか強い風とともに雲が流れて、稜線を越えていく。
山にあたった風は乱気流となってうずまいていた。
太陽と雲のマジックショー。
山に登るものだけに姿を現す御来迎。
一の倉沢にはいまだ豊富な雪渓が残っていた。
遠く日に岩を攀じ登った記憶がよみがえる。
稜線は多くの花に彩られていた。
肩の小屋から万太郎山への稜線へ入るとぐっと行き交う人は少なくなる。
ひとつのピークを越えると再び新たなピークが現れる。
朽ちた道標が谷川岳に刻まれた歴史を物語る。
百名山の谷川岳と連峰の最高峰の仙ノ倉山に挟まれた万太郎山は極めて不遇の山。
しかしながらその存在感は圧倒的で連峰の盟主と呼んでも遜色はない。
端正なピラミッドに個性的な鋸歯を連ね長大な尾根を延ばしている。
仙ノ倉へと続く稜線に未練を残しながら、厳しい下りの続く吾作新道を下る。
茂倉岳から谷川岳をへて万太郎山へ、万太郎谷の源頭を余すところなくたどる途であった。
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2015/7/7 (火)
点の記
日本地図最後の空白地帯を埋めるべく、陸軍測量隊は剱岳登頂を目指した。
幾多の困難を越えて、最後に登頂するに至ったルートが長次郎谷である。
梅雨空の合間を縫って、剱岳「点の記」のルートをたどった。
梅雨真っ只中の剱沢は閑散としていて、夏の盛りの賑わいを想像できないほどだった。
小屋も知り合いのガイドのみでゆったりと利用させていただいた。
偶然、映画「点の記」の撮影に携わった多賀谷ガイドもいて、撮影の様子や苦労を窺うことができた。
朝起きると昨日まで山を覆っていたガスも上がり、山の姿は惜しげもなくさらされていた。
長次郎谷の出合まで雪に埋め尽くされた剣沢を下る。
残雪は豊富で下を水が流れているこが信じられないくらいだ。
長次郎谷は源次郎尾根と八ツ峰に挟まれた長大な谷でその圧倒的な景観は日本で有数のものである。
谷の両脇を屏風のように岩壁が連なり、その一つ一つの岩が鋭く天を指している。
測量隊のメンバーはどのような思いでこの雪渓を登ったのであろうか。
期待か不安か。
おそらくその両方であったろう。
我々も同じ思いを胸に抱いて、一歩一歩ステップを刻んでいく。
スケールの大きさ故、近くに見える稜線はなかなか近づかない。
長次郎のコルの手前は雪渓がズタズタに切れかけていて、もうしばらくすると通過は困難になるだろう。
今日はなんとか雪が繋がっていて大きな苦労なく通過することができた。
コルから快適な岩稜歩きで山頂へ飛び出した。
遠く富山湾や毛勝山から続く北方稜線を望むことができた。
吹き上げる風は重く湿り気を多分に含んでいる。
南の空は黒い雲が覆っていて雨が降っているようだった。
剱沢や室堂平はまだまだ地面より雪に覆われた面積の方が多い。
そのまだら模様がなんとも不思議に美しい。
だまし絵のようであったり、なにか動物が隠れていそうで見飽きることがない。
陽のあたる斜面ではすでに多くの花が夏を待ちきれずに咲き始めていた。
往時の苦労とは比べるべくもないが、未だ剱岳は登山者に試練を与え、同時に大きな感動をもたらす。
我々もその一端に触れることができたのかもしれない。
多くのドラマがここで生まれ、人々の心に刻まれている。
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2015/7/2 (木)
コンテンポラリーな登山
スバルラインで山を駆け上がるにつれフロントガラスをたたく雨は次第に激しくなっていった。
なでしこジャパンの活躍をラジオで聴きながら、雨が収まるのを待つ。
駐車場には続々と大型バスが到着し、大量の中国人を送り込んでくる。
彼らは嵐の中に放り込まれ、逃げ惑うように土産物屋に吸い込まれていく。
やがて嵐は去って、ぼちぼち歩き始める。
6合目を過ぎて高度を上げるようになるとガスも消え失せて青空がのぞくようになった。
道行く人々は8割が外国人でどこの国の山なのか分からなくなる。
総じて装備は貧弱で手ぶらに近い人もいる。
眼下には雲海が広がって、予想以上の好天が訪れた。
最近は梅雨空ばかり見上げているせいか、青空がいっそう鮮やかにみえた。
8合目を過ぎるころには雲の量もへって河口湖や街並みが見えるようになった。
始めは山小屋に泊まる予定だったが、明日の予報は大荒れとあって山頂を目指した。
本来であれば時間的には行動は打ちきりであるが、今回はコンテンポラリーな活動であるのでどうしても山頂の画が欲しかったのだ。
ようやくたどり着いた山頂は強風と突風が吹き荒れていた。
日没間際の山頂にいるのはクレイジーな外国人のみで良識ある日本人はいなかった。
と思ったが、9合目の山小屋(実際はない)を目指して登ってきて山頂に着いてしまった若者が一人いた。
仲間を一人加えて下山にかかる。
すでに夕日は西の空に没し、街の灯りが輝き始めていた。
皆にも余力があるようなので遅くなろうとも天気の安定している今日中に下山することとする。
夜景と空に浮かぶおぼろ月を眺めながら、のんびりと下る。
単調な下山道であるが、特に危険個所はないので夜間歩行でもそれほど気を遣わなくてもいい。
それでも時折、吹き下ろす突風は侮りがたいものがあった。
6合目で来た道と合流するとこれから登ろうとする登山者とすれ違うようになった。
既に天候は悪化の兆しを見せ始めている。
彼らは総じて軽装であり、夜なのにライトさえ持たないものもいた。
どのような認識で彼らは山頂を目指すのだろうか?
研究の題材としては多いに興味深いところであるが、残念ながら余裕がない。
富士山には多くの人を引き付ける魅力があるようだ。
しかしその魅力があまりにも大きすぎるために思慮の浅いものや勘違いものも集まってくるのかもしれない。
そして、そのすべてを抱擁する富士山はやはり偉大である。
今回の山行で学び得たことは
「 登山とはコンテンポラリーなものであってそこに意味や答えを求める必要はない 」
ということである。
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