FrontPage/2012-09-12
竹村新道~読売新道
湯俣からの長い急登を経て、森林限界へ登り詰めるといつしか雨が降り出していた。
高瀬川の上流を詰めていくと、槍ヶ岳を源とする水俣川と鷲羽岳を源とする湯俣川が出合う場所に湯が沸いている。
そこが湯俣温泉である。
湯俣からはかつて北鎌尾根へ至る道があり、吊り橋も架かっていたがすべて崩壊している。
三俣山荘へ延びる伊藤新道も同様である。
ひなびた湯俣温泉・晴嵐荘はかつて賑わいを見せたであろう面影を残しているが、
対岸にある湯俣山荘は長く休業中である。
南真砂岳では「オヤマソバ」燃えるような色づきを見せていた。
周囲には埋め尽くさんばかりの「クロマメノキ」が実を膨らませている。
9月も半ばの雨は冷たく、吹き抜ける風と共に体温を奪う。
湯俣川まで一気に崩壊したザレ場を過ぎると稜線が見え出し、
硫黄尾根や北鎌尾根を従えた槍の穂先が雲間から顔をのぞかせた。
周囲の山々も次第に姿を現し、天気の好転を予感させる。
未明に水晶小屋を発ち、水晶岳の山頂で日の出を迎える。
北アルプスの中心ともいえる、この頂での朝日はいつにもまして輝き、美しい。
目指す赤牛岳へ向かう稜線はどこまでものびやかに続いている。
振り返ると水晶岳が大きく、その傍らに槍ヶ岳が静かに存在を主張していた。
赤牛岳の山頂より薬師岳を望む。
幾つものカールは氷河期の遺産。
深田久弥の言葉を借りれば「ただのっそりと大きいだけではない、厳とした気品を備えている」。
その稜線を歩いた日のことを思い起こす。
ここから長い読売新道を黒部川の谷底まで下って行く。
コースガイドには「苔、泥、木の根で滑りやすい」とあるが、まさにかくのごとしであった。
奥黒部ヒュッテからの高巻き道は、意外と侮れない。
さながら空中を行く遊歩道である。
道を整備している方々にほとほと感心せざるを得ない。
「平ノ渡し」ではまさしく渡し船を待つ。
船は4時間に一便ほど。一時間ほど待って乗船。
ひと時の遊覧気分を味わうと、再び苦しい道のりが黒部ダムまで続くのであった…。
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