FrontPage/2015-07-02
コンテンポラリーな登山
スバルラインで山を駆け上がるにつれフロントガラスをたたく雨は次第に激しくなっていった。
なでしこジャパンの活躍をラジオで聴きながら、雨が収まるのを待つ。
駐車場には続々と大型バスが到着し、大量の中国人を送り込んでくる。
彼らは嵐の中に放り込まれ、逃げ惑うように土産物屋に吸い込まれていく。
やがて嵐は去って、ぼちぼち歩き始める。
6合目を過ぎて高度を上げるようになるとガスも消え失せて青空がのぞくようになった。
道行く人々は8割が外国人でどこの国の山なのか分からなくなる。
総じて装備は貧弱で手ぶらに近い人もいる。
眼下には雲海が広がって、予想以上の好天が訪れた。
最近は梅雨空ばかり見上げているせいか、青空がいっそう鮮やかにみえた。
8合目を過ぎるころには雲の量もへって河口湖や街並みが見えるようになった。
始めは山小屋に泊まる予定だったが、明日の予報は大荒れとあって山頂を目指した。
本来であれば時間的には行動は打ちきりであるが、今回はコンテンポラリーな活動であるのでどうしても山頂の画が欲しかったのだ。
ようやくたどり着いた山頂は強風と突風が吹き荒れていた。
日没間際の山頂にいるのはクレイジーな外国人のみで良識ある日本人はいなかった。
と思ったが、9合目の山小屋(実際はない)を目指して登ってきて山頂に着いてしまった若者が一人いた。
仲間を一人加えて下山にかかる。
すでに夕日は西の空に没し、街の灯りが輝き始めていた。
皆にも余力があるようなので遅くなろうとも天気の安定している今日中に下山することとする。
夜景と空に浮かぶおぼろ月を眺めながら、のんびりと下る。
単調な下山道であるが、特に危険個所はないので夜間歩行でもそれほど気を遣わなくてもいい。
それでも時折、吹き下ろす突風は侮りがたいものがあった。
6合目で来た道と合流するとこれから登ろうとする登山者とすれ違うようになった。
既に天候は悪化の兆しを見せ始めている。
彼らは総じて軽装であり、夜なのにライトさえ持たないものもいた。
どのような認識で彼らは山頂を目指すのだろうか?
研究の題材としては多いに興味深いところであるが、残念ながら余裕がない。
富士山には多くの人を引き付ける魅力があるようだ。
しかしその魅力があまりにも大きすぎるために思慮の浅いものや勘違いものも集まってくるのかもしれない。
そして、そのすべてを抱擁する富士山はやはり偉大である。
今回の山行で学び得たことは
「 登山とはコンテンポラリーなものであってそこに意味や答えを求める必要はない 」
ということである。
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