FrontPage/2011-01-09
Tag: 厳冬期飯豊連峰縦走 厳冬期北俣岳 西股ノ峰 枯木ノ峰
SNOW PARADISE EPSODE.2 (厳冬期飯豊連峰縦走記)
2010年12月25日夜。
クリスマスで賑わう東京の街を我々は出発した。
ニュースでは数日前からの寒波の影響による、日本海側での大雪の情報を絶えず伝えている。
鳥取のスキー場では雪崩で3人の犠牲者が出た。
さらに、年末には強い冬型の気圧配置となり、大荒れの予報が出ている。
我々が走る東北道も福島県に入ると一面の銀世界となり、次第に風雪が強くなっていった…。
ついに高速道路は郡山の付近から雪のため通行止めとなり、一般道での迂回を余儀なくされる。
そんなこともあってか、二人の会話も弾むということはなく、これからの長い山行への不安が募るばかりであった。
栗子峠を越えて米沢に入ると、まさしくそこは雪が支配する土地であった。
しかしその為、除雪など慣れたもので道路には大きな混乱はないようだ。
夜を徹しての除雪作業が続けられていて、関東ではお目にかかれない大型のロータリー車やモータグレーダ、ホイルローダなど
いかめしい名前の除雪車が活躍している。
田んぼの中の吹きさらしの道路は巻き上げられた雪によってホワイトアウトし、道路の境目もおぼつかない。
道の駅で仮眠をして登山口の長者原へ向かう。
ここまでくるともはや逃げ場はなく、次第に気持ちが山へ向かっていく…。
なるようにしかならないし、駄目そうなら引き返せばよい。
そう言い聞かせながら、登山口へ向かった。
でも心のどこかでは完全縦走への野心を捨てきれないのも事実である。
我々の計画は、長者原から入山し頼母木山から北西へ延びる尾根の支稜へ取りつく、
西俣ノ峰、枯木ノ峰と経由し頼母木山で主稜線へと出て、北股岳、飯豊本山、三国山と縦走し、
福島県側の川入へと下山するというものである。
予備日を含め、10泊11日。食料、燃料は2週間分を用意した。
インターネットなどで記録を探してみても、数十年前の記録がわずかに確認されるのみ、
近年のものは残雪期ばかりで厳冬期のものは見つけることができなかった。
その形も山岳会の総力を挙げて取り組んだもので、夏の間に食料や燃料をデポし、10名近いパーティーでサポート体制も整えている。
もちろん装備の整った現在の登山と簡単に比較できるものではないが…。
たった二人だけの我々はどこまで厳冬期の飯豊に通用するのだろうか?
最近は目も向けられない、いわば地味な課題ではあるが、挑戦する価値はないとはいえないだろう。
そして、自分自身を試すには絶好といえるに違いない。
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