FrontPage/2011-01-11
SNOW PARADISE EPISODE.4 (厳冬期飯豊連峰縦走記)
「冬の飯豊連峰は日本海の水分をたっぷりと含んだ湿雪が、しんしんと降り続いて、一夜に2mに達することがある。
重い雪は天幕をつぶし、一日中雪に溺れるようにあがいて歩いても、せいぜい3㎞、
晴れ間にふり返ってみれば声の届く範囲がやっとであるという事態にもぶつかる。
正月登山などはこのため、行きはよいよい帰りは怖いとなり、沿線の列車はストップ、
アプローチは現地の人も通わぬ雪原と化す。
一月の晴れ間などは十五日に一回とも言われ、大停滞を余儀なくされる。
そして停滞すればするほど危険度はますというやっかいな山が厳冬期の飯豊連峰である。
それでもなおスポーツ登山の域を超えた重労働の世界、冬の飯豊連峰に入山するならば、
自分たちのパーティーだけが山とともにあるという実感を満喫できる、充実した世界が広がっているといえよう。」
以上”日本登山体系”から厳冬期飯豊連峰についての抜粋である。
3日目6:15出発。
今日も相変わらず雪が降り続いている。
入山してから一度もやむ気配を見せない。
枯木ノ峰に差し掛かると、新潟山岳会のデポが大量に木にくくりつけてある。
正月にかけて入山する予定があるのだろう。あるいはあまりの予報の悪さに入山を控えたかもしれない。
一歩一歩高度を上げていく。
やがてブナからダケカンバが目立つようになる。
早朝から本降りの雪であったが、徐々に小止みになり、時折薄日が差すようになってきた。
樹林が途切れるころになると周りの山が見えだした。
入山以来、初めての展望が開ける。
青空も見え始め、今までの鬱屈とした気分からようやく解放される。
空模様一つでこうもやる気がみなぎるのも不思議なものである。
しかしながら、純粋に美しい雪山の景色をみるのは感動的である。
そして、我々のほかに誰もいない山にいるという実感をあらためてかみしめる。
そしてもう一つ、我々の気持ちを盛り上げることがある。
それは今日は避難小屋に入れるということである。
ペース次第であるが、順調なら門内小屋、最悪でも頼母木小屋までたどりつけるはずだ。
小屋に入れば、夜中の雪かきもないし、テントの狭さも解消される。
濡れた衣服やシュラフを思う存分乾かせるだろう。
雪面は次第にクラストしはじめ、くるぶしくらいまでしか沈まなくなっている。
おのずとペースが上がり、稜線はぐんぐん近づいてくる。
しかし、樹林がなくなると真っ白な雪に覆われた尾根は遠近感が狂ってくる。
あと5分くらいと目算していたピークがなかなか近づかない。
逆に歩けば歩くほど遠のいていく錯覚を覚える。
それでも気力を振り絞り、頼母木山のピークに立った!
と喜んだのもつかの間、目の前にさらに高いピークが現れ、それが本当の頼母木山であることを認識する。
山ではよくあることだが、気力で歩いてきたため疲労感は数倍する。
なおも死力を尽くして頼母木山の山頂に立つ。
すると日本海からまともに吹き上げてくる烈風が歓迎してくれた。
山頂標識には今まで見たことのない、1mの長さもあるであろうエビの尻尾がついていて稜線の厳しさを物語っている。
稜線は烈風のおかげかガチガチにクラストしており、もはやワカンは必要ない。
アイゼンに履き替えて進む。
風が強く、ひと時も休むことはできないが、ラッセルがなければこっちのもの、ガンガン距離を稼ぐ。
いつのまにか空は晴れ渡り、はるか遠くの山並みがくっきりと見える。
白く輝く、粟ヶ岳、越後三山、燧ヶ岳,日光連山が素晴らしい。
眼下には日本海の海岸線が弧を描いている。
しかし、今度はシャリバテで足が重い。なにせ風のせいで行動食をとれる状況ではない。
フラフラになりながらも門内小屋へたどり着く。
時刻は13:30。
予想よりもはるかに順調である。
ここは梅花皮小屋まで足を延ばしてておくべきであろう。
食料を補給して再出発。風は強いが、天気は良い。
今までの鬱憤を晴らすように距離を稼げるのが心地よい。
我々はいけいけ状態にあった!
この後待ち受ける惨事も知らずに…。
つづく・・・
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